日々是好日 徒然なるままに日暮し

ようこそいらしゃいました

祈り クリスマス市・セレモニー



山口市 ザビエル記念聖堂があります
30年くらい前に 以前あった聖堂が焼失して
現在の近代的なモダンなかたちになりました
山口に観光に来られたら 行って見てください
  
十字架もステンドグラスも 
今までの観念とはまるでちがう形式
差し込む光に輝き
明るい静かな清々しいさに
立ち尽くす

椅子に腰掛けて ゆっくりと呼吸を調えて
差し込む光りとの一体感を・・・・
ほんのりと伝わる なにかを
目を閉じて 味わってみてください

午前中の天気のよい日がおすすめです

見るだけの観光で終わらせてはもったいない
そんな気がします

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 山口の大内の殿様は
日本で初めてザビエルにキリスト教の布教を許し
降誕祭(X'mas)も初めて行ったと古い報告書があるそうです

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寒いので 来々亭のラーメン食べて暖まって行きました

一人で行くのは 力がいります

主人がいつもいてくれればね・・

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はじめ 教会の鐘が鳴り響き 
聖堂内では パイプオルガンのミサ曲が弾かれ
平原綾香さんの アカペラでの “きずな“ からはじまり
神父さまの ザビエルの由来の話
・・
・^・
湯川れいこさんと皆川彬良さんの
“きずな’ という歌から きずなが次々に繋がってゆく素晴らしさ
人を思いやる優しさ心の豊かさで平和をとステキなトークでした

最後に 全員で きずな の大合唱


やっぱりきてよかった と
  心から やすらぐ ステキな降誕祭でした

きずなという歌 私は知りませんでしたけど
来年は 聖歌隊のメンバー募集のときには
是非 参加する側で・・

きずなの輪の中に入りたいと思います


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祈り 光りの中で ・・・居場所

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20日ぶりに仕事にでて 久々にいつもの公園で一息...

去年のように見事に美しく紅葉していることを期待してたのに

今年の落葉は 早過ぎではないかと..

もう すっかり落ち葉になっていて チヨッと残念...


わたしはこの一年 きれいに染まり夕陽に輝く

この木を見るのを楽しみに待っていた

そして あの時のように 癒されたっかたのに.!



仕方がない 来年だわ....



去年の秋 空高く真っすぐ形よく紅葉していいる この木を見つけたとき

いつも車を停めるのはここにしょうと決めた


それから

鳥のさえずりを聞き 色や匂い 光り輝く自然を感じに来ていた

木々のめぶきや 

新緑の眩しさ

真夏はこの木の深緑の木陰の時間に出かけた



広い公園のいくつもの樹林の合間の下に

伸びる度に 刈られるであろう細長い雑草が

生き生きと草原のように広がり美しいときがある

そこそこに黄色い小さな花がちりばめられて陽に輝く

それが一斉に揃って揺れ なびき あやつられる

風が通り過ぎるのだ

わたしも自然のままに なびいているように気持ちがいい




大風の時は 公園の樹林の間を木々を揺すり音を立てて 風が渡るのが見えて

わたしは 大きく呼吸して生き返り歓喜するような気がするのだ

わたしは そんな目には見えない風に

ナニモノなのだろうかとか?

目を見張って追っている 

わたしは 風になりたい!・・のかもしれない




季節の折々を感じるために

そして

 ちょっと疲れた時に

どうしょうか迷った時に

誰に話しても仕方ない晴れない気持ちの時に

何か行動を起こすときに頭を整理するために

そして 嬉しいことがある時にも

この木の前にやってきて 黙想をしている

そして 

話をする

もちろん亡き主人に話しているように

そして

神様に イエス様に マリヤ様にも
わたしを護ってくれる聖霊にも
カルカタのテレサにも

主人の両親にも
わたしを育ててくれたご先祖様にも

届くのだろうか...!

しばらくすると 

何か心に感じるものがある

だれだかわからないけれど

答えてくれるような....!

それを行う 

その時は自分のわがままな思いはたぶん 無い

スムーズにことはクリヤー

日々是好日 感謝しかない

上もない 下もない

ただ それでいいのだ 

ほんと 生きるのが楽しい


わたしには そんな居所が見つけられて幸せだと思う



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                                妹からのプレゼント

ありえない 揚羽蝶のこと

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揚羽蝶が 庭にたびたび来るのです

普通のより少し 白ぽい色でした

わたしが外にいるときに

庭を 右に左に ゆっくりと目の前を飛ぶのです

二日目に ひょっとして ・・・と思って

主人の名前を呼んでから

 手を伸ばしたら その先に やってきたから おどろいた

止まりそうだったけれど ・・そうならなかった

でも

庭に出るたびに 少し白ぽい蝶がどこからともなく

やってきているようで

どうにも 不思議で

今度 来たら写真に撮ろうと思った

そしたら 三日目もまた来たので

主人の名前を呼んで 話しかけながら

近づいて写真をたくさん撮った

長くじっと止まって 風に揺られていた


庭の東側にピンクのサルスベリが美しく咲き

西には ブドウの実はもうないが 枝がいくつも伸びて下がる

小さな池には睡蓮が次々に咲き

毎朝 長生きの金魚たちにエサをやるのは主人の日課だった

主人がいつも 馴染んだ夏の庭の景色だ

狭い庭だけれど あれこれ植えていて花が咲くと

主人は ニッコリ見ていたにちがいない

(ときに カメラで撮ったりもしていたことを思い出した)




わたしは 汗水流しながら手入れしたり 草抜きした

手伝だってくれないと文句を言ったりしたけれど・・・


わたしは 今 ひとりでおんなじことをやりながら

しみじみと 思うことがたくさんある

こうすれば よかったんだ ・・・




4日目の早朝 いつもの時間に仕事に行こうと外に出た

薄明るい白々とした朝 

揚羽蝶が突然現れ 目の前を二、三回舞った

信じられない ヤッパリ主人だ

名前を呼んだ

しかし すぐに あたまのうえに飛んで

振り向いたけれど もういなかった

羽が少し傷んでいた



この不思議な出来事を

子供に話すと

『ハエがいたね』と言うのです

主人が亡くなったときに

家の中に一匹のハエがいて

 わたしの周りをウロウロ飛び回り

わたしに留まったり 目の前でじっとしているので

お父さんかも・・と  まさか ハエではと思いつつも

今日もいるね と見守ったのです

そして

21日目の朝に 台所のすぐにわかるところで コロンと横たわっていた



この二つの話を 親しいクリスチャンの方に話すと

それは お父さんよと 言われた


ヤッパリそうだったんだ!

何か 感じる 何かがあった

心 魂 霊的・・・

いつものように いやがって 追い払わなくてよかった


わたしは 何を考え想像しているのでしょう(笑)



現実 テレビでは 安倍さんが 総理に再選された

国会議員票 地方議員票の投票人数が

面白いことになっていた

わたしは 安倍さんが総理を続けないと

日本は また 停滞して どうなることやらと思う

世界の情勢のなかで 現実 安倍さんの働きがなくては・・・

そう思うと やはり 少しほっとする

しかし 

石破さんの言われることの方が

わたしはわかりやすい

安倍さんは 選挙に勝って

より一層 世界の平和維持のために

日本のあるべき位置を

見失うなことなくリーダーシップを

発揮してほしいと祈ります


久々の発信 アレコレ書いてしまいました
(笑)

わたしは 元気

彼岸花の季節です
自然は目には見えないけれど
ほれぼれするほどに着実ですね

わたしも いつまでも留まらず
変化し 向上していきたい

それを 主人は 見守ってくれてると思うから・・・・


読んで下さった方々 ありがとうございました
































1年前


  1. 去年の今頃 何していたかな・・・

イカにぶどう 
きゅうりになす ゴウヤにピーマン
とまとに みようが・・・

家庭菜園は
初めての大豊作

主人と一緒に作った菜園

わたしが数年 長期で留守することが多かったので
主人に水やりや苗を植えるのを頼んだりして
主人も興味を持つようになってくれだした

それまで ほぼ関心なく
主人は作ったものをうまいといって食べて喜んでいた(笑)

豊作の今年は 何がよかったんじゃろうね
何か 変化があったんだろうね
来年は・・・と 二人で菜園の話したりした


去年も とても 暑い熱い夏だった
冷房を今まで必要と思わなかったわたしでも
冷房を一日中かけざるおえなかった
私もその部屋で過ごすことが多かった

朝早い仕事で 暑い中 帰って来て
昼食済ませて 昼寝
主人の横で
疲れていたので
結構長い時間寝ていた
わたしは 時折 ふっと主人の顔を見ながら
安堵感にひったっていた 

主人も きっと
シミジミわたしの顔を見て
ほっとしていたにちがいない

わたしはいつも主人に寄り添っていた


主人は まあるい腹を出したままで
いびきをしていたりした

「風引くよ」と心配したけれど
冷房を一日中かけていることを黙認していた
これが 悪くなった要因の一端かもと思えてならない

主人は 一日中その部屋で
新聞読むことから始まり
彼なりの行動予定で動い
どこかに出かけ 
それを済ませると
昼寝 ・・  ばっかり(^_^)
一日中 何してるんだろう・・・と

わたしはわたしで 
好きなことをして楽しんでいる
主人は わたしがやってることを
横目で見ているだけで よかったみたい
わたしは 主人に何でも話せたと思う
そして 何でも見せた

あれこれ言いもしないし 反論もしないし
そうか・・・と聞いてくれていた主人
失敗したら
それみたことか・・・とバカタレがと笑う

そして 助けてくれていた

だから わが家の子供達は
叱られて 叩かれたりしたことないと思うし
あまり頼りにならない(^_^)
父親を尊敬というより
 愛らしいと思っているにちがいない

ところが
 主人は日頃 物静かで
腹を立てたり イライラしたりしないし
いつも にこやかで おとなしく・・

でも OB会や寿会などでは
けっこう 張りきっていたようで
人気者だったんかな・・・(笑)

“骨まで愛して” “太陽の季節”とか 
わたしは聞いたことのない曲カラオケで歌っていたと聞いた・・
楽しいことが好きで 以外と 芸達者でもあった
大きな声で話し 歌い 楽しむ人でもあった


子供達が自立してからは
お互いに 相手に干渉せず
さきを憂えず あるがまま寄り添って
これがいい これでいい・・
あとは お任せ・・・でいいのよね!!

主人の変わらない姿勢のお陰で
やっとわかった! と
分かち合えた時の
主人の
あの時の嬉しそうな顔を覚えている

そんなことがあって
 一年もたたないうちではなかったろうか・・・



主人の持ち物 やり続けていたもの
それを見て 主人を思い出す
やり残したこと・・


もっと 一緒にいたかったね
子供達のためにも 夫婦で揃って・・・と

いくら思っても
ほんとうに虚しい ・・・・
ありえない現実

なかなか 思いは深い
どうしようもない



9月2日 命日

あっというまに 1年過ごしました

亡くなる前の日々
わたしは 主人の横で
なにしていたろうかって思いますよ

おもしろかった
楽しかった
わたしは 幸せでしたよ

でも 貴方は どうだったんだろう!

 わがままなわたしを
いつも 許してくれてありがとう

主よ
みもとに召された主人に
永遠の安らぎを与え
あなたの光の中で
憩わせて下さい アーメン

心から祈っています

いずれ わたしもいきますよ
その日まで
悔いなく 気持ち良く
日々是好日に過ごしますからね


K神父様
あすはよろしくお願いします

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祈り

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5月も 後わずかになりましたね

あっという間に月日は過ぎ去り

いつのまにか季節が かわってるのに驚いてしまう



黙想することを教えてもらい

自分なりではあるけれど心静かに

アッバの側(そば)で ・・・

エスの側で・・・・

マリヤ様の側で・・

テレサの側で・・

じっと心清められたい

貧しい気持ちを捨てたい

語りかけてもらいたいと・・・


もちろん いつも

主人がいつも側にいてくれる

一人ではない




留まることなく常に変わる・・・季節も 時間も 人も

それぞれのスパンで循環している

今 私はそんなリズムを意識しながら生きていると思う


若いときは がむしゃらに一生懸命で

 目の前で繰り広げられる生活に追われて

その時々の自然の息吹を瞬間 垣間見て

気持ちを安らげても すぐに事に追われて過ぎていた

心も身体も汗だくになって

これでいいのかしら・・でもわたしがやらないと・・・

手に負えない事も一つづつ いい加減にできず

抱えきれないことも 辛抱して

私なりに精一杯 より良くなればと

それなりの結果が出ている・・進行形ではあるけれども・・・

なのに もっと こうであったらと ・・・

常に理想と現実とのギャップに焦り



(振り返ってみれば私は 足ること知らない性で

周りを焦らせ 困らせてきた)



で 最後に

これでいいのかしらね と

どう思うかと 主人に尋ねてみたりして

いつも主人の 少ない言葉で

大したことでもない事のように解消できたりした

というより 

自分の判断に自信がなくなっていた

膨らました風船が少しずつ しぼむ感じ

(一度に破裂しなかったのは幸いだったと思う)

自分の程を 限界を 知ったのだろう

自分たちの積み重ねた結果が出てくる年齢がきて

お蔭さまなことばかりなのに・・・

良いことも悪いこともあって当然なのに・・・

わたしは ため息をついたりしていたが・・



主人は 何の否定もしなく 

坦々と受け入れていた

何でこんなに違うのだろうか・・・・

主人の偉大さ わたしに対しての寛容

そんなことにやっと気づいた



長年 夫婦として共に暮らす中でたどった道程

始めは 愛から初まった

途中で 仕方ないと あきらめの心境

マサに あれから40年~~キミマロの漫談に

ドキリとして 笑えない



そして やっと わかった

わたしはなんて幸福なんだろう

自分の力なんて知れたもの

あなたがやっぱり いちばんいいわ!

あなたがいい!

 主人に わたしは言った

主人の 嬉しそうな顔が忘れられない


それは 何年前だったろう・・

本当に 素直に伝えておいて よかった

主人は憶えてくれているだろうか・・



天にめされた主人 

わたしの目には見えないけれど

いつも 声をかける

そばにいてくれる 温かみを感じる

だから 一人じゃない



毎日 手を合わせお祈りをささげる

天におられる父である神の

深い愛に見守られている幸福

私自身もよくわからないけれど

いつもありがたいと思うし

力をいただいて 毎日 喜んで働ける

毎日が不思議な体験であるし

奇跡のような気がする


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やっと 発信 
わたしの拙い思いを また 書き残してしまった

通り過ぎて下さいませ✨😁







祈り 光りの中で ・・ あれから 九ヶ月

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k神父さんからの プレゼント

毎朝 祈りの中で一日分 読んで かみしめている😁

以前から Motherテレサは 本当に素晴らしいと思っていた✨

わたしでも 貧しい人 困っている人に多少の手助けはできるだろう 

しかし 道端で 死にかけている人のために

人が嫌がる病気の人でも あらゆる障害者にも手をさしのべて最期まで守る

慈しみの微笑みと やさしさの権化・・・✨




その行いについて知ったのは

 二男が小学生の時 図書館で 偉人の伝記をよく借りて読んでいた頃があった

ある日 お母さんは マザーテレサみたいだね~ と言った? 😁モウ ワスレカケテル😂

うれしくなって

それで 何でかしら と思って 私も読んだ

・・・毎日 わたしのしている仕事とは雲泥の差があるけれど

子供なりに 人のためにしていると ひいき目に見てくれていること

わたしは 子供らのまなざしの純粋さと やさしさを感じて 胸熱くなった



洗礼を受けるとき

クリスチャンは聖人の名前を選択する

と いわれても ・・・・まだ よく知らない

でも 

恥ずかしながら "マザーテレサがいい🎵と言えた

・・・・テレサ(カルカタ)   *インド カルカッタテレサ


あれから 図書館でマザーテレサのビデオを借りて全部見た

わたしの知っていることなんてほんの少しのことだった

まるで 生きる目的 価値観 こんな見方考え方・・まるで違うのだ

なんとおどろくべき実践成果 神様の祝福  祈りの心 

神父さま方のお言葉の中にも マザーテレサの例えが

たびたび出てきて とても印象にのこる

全部 記録したいけれど ・・・・またのときに


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✨昨日の祈りのことば💐

まったく その通りなのに

なんで あんなに 言い争ったのかね~?

いつも迷っていた羊は わたしですね

いつも迷わせた羊も・・・・わたしですね

でもね 言ってくれればわからないわたしでもないと思うんだけどね!

残念ながら 過去には戻れない また 新に歩むしかない



今日は 九回めの月命日でした

秋 冬 春と自然は着実に季節を彩っている もう夏のようで・・

あっという間に一年がまわりそう


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洗礼

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春の息吹 

何時ものように昼前に仕事を終えて
公園の大きな樹の前で一息

 最近は意識を変えて
黙想をして帰る

 気持ちを整理しているのかな・・・
気づき・・・思いつくのだ
そして 
それができることがありがたいし
・・・結果 すべてに感謝となる


わたしは その大きな木の下にいって新芽を見た
春まだ遠からじであった枝先に
赤いものが出ていた
ようやく 新芽が出たんだと思った

春本番 公園の薄ピンクの桜が満開で雲のようにたなびく
その下で 沢山の人が憩いでいる

その柔らかな春色の光の輝きが
あっという間に世の中を明るくする
ほんとうにいい季節だ
寒さで 身も心も ちぢまっていた
わたしの気持ちも和らげてくれる

そんな佳い日が わたしの洗礼の日になった

その幸せをアッバに祈り

亡き主人にも
喜びを伝えたかった
主人が死んでしまったことが因なのだから

そして 家族の応援があればこそ

もちろん神父さん 代母さんに 支えられての自分

こんなに穏やかで喜びと希望に満ちていること
神様が 祝福してくださってる✨


3月31日 夜7時から
復活祭のミサのなかの洗礼式
わたしの霊名テレサの名を呼ばれ
誓いをして 額に洗礼の水をかけられた

何と!清く しみこむ 水の冷たさ


そして
 キリストの体であるご聖体(パン)を
両手でいただき
キリストの血である ぶどう酒を含ませ 
初めて 口にいれた

美味しい ぶどう酒の香りに包まれたご聖体
ゆっくりと味わった

2000年前から続けられている
 最後の晩餐でのキリストの行われたその儀式に 
わたしも加わることができたことの奇跡をかみしめた

いままでの罪を赦され
神の子として永遠の命をいただくことができた
実感は無いけれど
目には見えないけれど存在するであろうと 思える

この日を迎えることを希望に
あれから生きてきた


クリスチャンとなれて
何が変わると言うことはないであろう
いままでどうり 祈りを支えに
暮らしていこうと思える
 幸せなこと 感謝

ひょっとしたら・・・
生まれてから 今日までの
あらゆる試練 苦労 努力
喜怒哀楽すべて
みな 今日にたどり着くための
あらゆる体験だったりして・・・

よくぞ たどりつけましたね!

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そしてまた 新たに何かが始まる
ワクワクする

いいことばかりだと いいけどね!


復活祭のミサの
神父さんのメッセージの中で

✨イエスは復活されて・・・
すでにガリラヤに行かれたと弟子に伝えなさい・・・✨

聖書のマルコによる福音の一節が拝読されたが・・・

当時のガリラヤというところは
いろいろな人種が住み
大変に混乱していた場所であったと神父は話された



なんでそんなところに 行かれたのか・・
・・・・・・?
わたしは ふと 思った

ガリラヤ とは
我が家のことかも知れない

私の中のガリラヤ
 我が家にイエスは来ておられるのだと

どうにもならない

半分 あきらめて 改めようとしない場所で暮らしている

 私の心の中であるのかもしれない

何だか すごいことに気づいた 気がした



驚いたことは 
洗礼式に 子供達が来てくれていたことだった
思いもかけないことだった
仕事を終えて3人揃って(笑)

憐れな母の気持ちを 察してくれ行動してくれたこと
わたしは愛されているんだわ~実感しまして

喜びが倍増しました




クリスチャンになって一週間が過ぎました

我が家の中のガリラヤを見つけては

神に 祈りながら解決方法を見出だして

うまくいっています  本当に神様に感謝💓



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ありのままの自分でいいから
人生の中で
神様とわたしの間での
物語を
紡いでいきましょう
*************

初黙想会でのローマから来られている神父さんの言葉のように



突然亡くなった主人の葬儀を
どこの寺に頼めばいいのか判らなくて

3ヵ月前に息子たちの結婚式を挙げた教会に相談し

神父さまがお引き受けくださった

今思っても 不思議なことだけれども



葬儀の間 あたたかな明るい光を感じた

神様 主人の魂を光の中に包んで助けてくださいと

わたしは無意識に祈っていたのだろう 

あの日から


神様との間で

(祈りの言葉に感動し)
(教会に行くと気持ちを癒され)
(聖書の勉強が愉しく)
(老神父さまの崇高な信念を敬し)etc...

7ヵ月の短い間ではあるけれど

毎日出来湧くことをとうして
祈り 尋ねながら 

いつの間にか
いくつもの物語を紡いでいたと思う

祈りの言葉に心を支えられて
神に尋ね 沈む気持ちを払い落とし

前向きに
いつもとかわらずにおれること
ひょっとしたら
以前より ポジティブかもしれない!



キリストに出会わなかったら
わたしは
一生懸命やってきたのに
何もかも終ったと
生きるのが嫌になっていたかもしれない



今日は マザーテレサのビデオをみた

感動と涙
世の中 何が大事で 何を基準に生きたらいいか
価値観はそれぞれ違っていいけれども
わたしは いまさらシスターでは無いけれど
助けを求めている人のために
行動したいと思った
マザーテレサのような人のもとで
神様の願いのもとに喜んで働き 役に立ちたい


必要あれば 祈りが届くであろうし

今のところは 我が ガリラヤを聖せねば・・・・ならない😊